疲れを感じる時

20代の頃、重度のアトピーだった頃、私はいつも疲れていた。

 

「ああ疲れた・・・」

 

この言葉を、何度口にしたことか。

それはもう、口癖のようになっていた。

 

実際、私は本当に疲れていた。心身ともに。

立っているより座りたい。座っているより横になりたい。

常に、そんな状態だった。

 

アトピーと言う病気も重症化すると、そんな状況になってしまう。

 

ところで、

 

この『疲れ』はどこから来るのだろう?

 

私の場合、この『疲れ』をよくよく観察してみると、それは必ずしも

身体的・肉体的な要因ではないことに気付く。

 

その証拠に、私は自分が好きなことをしている時だと、身体的・肉体的

な疲労でさえ、むしろ心地よく感じている。

 

一方、自分がやりたくないこと、気が進まないことを我慢してやった後、

私は、どっと疲れている自分に気付く。

 

と言うことは、

 

疲れが生じるメカニズムとは考え方や心、つまり身体的・肉体的要因

ではなくメンタル面、精神面に起因している気がする。

 

言い換えるなら、

 

『疲れ』と言うのは、心とカラダのバランスが崩れた時に生じる。

 

こう考えると、思い当たる節は一杯ある。

つまり、身体とココロがバラバラの状態。

 

お風呂でシャンプーしている時、心はうわの空。

 

で、湯船に入る時、『あれ?シャンプーしたっけ?』

この程度なら、笑い話で済む。

 

それでも、『怖いな~』と思うのは、車の運転。

集中しているようで、他のことを考えている時が多い・・・

何となく、目的地に向かっているだけなのだ。

 

『これでいけない・・・』

 

そう思って通勤途中、歩いている時には『歩く』ことに集中することにした。

歯を磨く時には、歯を磨くことに集中。他のことはなるべく考えない。

 

すると、すると・・

 

こんな単純なことで、心と身体が一体化する。

次第に・・ ゆっくりと・・・

 

では、嫌な仕事をしなくてはならない時は?

 

その仕事が好きだと思えないか? 試してみた。

 

その結果、『何が何でも嫌なものは嫌!』と言う仕事は意外と少ない。

まあ好きではないが、不思議とそれなりに大事な仕事のように思えてきた。

 

これだけでも、『疲れ』は随分マシになる。

 

実を言うと、この方法は瀬戸内寂聴さんから拝借。

 

寂聴さん曰く、『私は嫌な仕事は好きだと気持ちを切り替えてからやります。』

やってみた 糖質制限食

糖質制限食。

 

やってみた。自分なりに。約3か月。

 

朝食は、パン。

昼食は、回転寿司(3皿+茶碗蒸し)

夜は、魚や肉のみ。ご飯も麺類も食べない。

 

大体、こんな食事内容。

 

昼食は大抵外食なので、回転寿司が天丼の時もあったけれど、

糖質の摂取量は、今までの大体3分の1程度。

 

一方、飲酒は一切しなかった。

飲酒はアルコール類を止めてもう1年以上なので、何てことはない。

 

で、3か月後、身体にどんな変化があったか。

 

まず、体重が3キロ落ちた。

 

体重は60キロを超えないように普段から気を付けていたが、これが糖質制限食を初めて1週間程度で3キロ減。

今はそのまま57キロ台で推移している。(因みに私の身長は167センチ)

 

これには少し驚いた。

 

何が驚いたかと言うと、その体重の落ち方。

お腹周りの肉だけがストンと落ちた。(これは理想的)

 

つまり筋肉を落とすことなく、お腹周りの無駄な贅肉だけが削げた感じ。

 

「なるほど・・・」

「そういうことか・・・」

 

今更ではあるが、今、巷で話題のダイエット法のカラクリが見えた気がした。

 

「ほーっ、こういうこと、するんや・・・」

「カロリー計算だけじゃなくて・・・」

「オマケに筋肉? ソレ、女性にはちょっとアレちゃうん?」

 

ダイエットなど全く関心の無かった(今でも無い)自分だが、『体重を落とす』と言う点に関してだけは、妙に腑に落ちてしまった糖質制限食の体験だった。

 

で、改めて糖質制限食に付いて。

 

これは、糖尿病の患者さんにとっては間違いなく『福音』だと思う。

福音とは、つまり良い知らせ。

 

恐らく、自分が糖尿病と診断されたら、これ以外の選択肢は無いだろう。

 

エビデンスもしっかりしている。

この辺りは、さすが江部先生だと思う。

 

現時点において、この糖質制限食に異を唱える研究グループが様々な論文を出しているが、この点は素人の自分が判断しても、もう完全に決着は付いてしまった感がある。

 

とまあ、ここまで糖質制限食を全面的に支持するような書き方をしてきた私だが、では今後、糖質制限食を続けるか?と問われれば、正直、微妙ではある。

 

理由はこうだ。

 

結果的に1週間程度で3キロの体重減にはなったが、この点に関して、実は糖質制限を行う中で、食べる量そのものが減ってしまった現実がある。

 

理由は単純で、糖質制限をやろうとするとお金が掛るからだ。

 

この点に関しては、自分の努力不足と経験不足があることは否めないだろう。

もっとやり方を工夫すれば、コストを抑えた糖質制限食は可能なのかもしれない。

 

しかしながら、茶碗一杯分のご飯は約30円程度。(普通のコシヒカリで)

さすがに肉・魚でこれは・・・

 

それからもう一つ、糖質制限食で私が引っ掛っている点がある。

 

これはある意味、元重症のアトピー患者だった私の個人的な経験則に拠るのだろうが、

 

肉も魚も一切制限なし。

お腹一杯食べて楽々痩せる。

 

この部分。

この表現に、元アトピー患者の私の身体と心がこんな風に反応する。

 

お腹一杯まで食べる?

ん?ホントにそれでいいの?

 

腹6分目。

これが健康に一番良いことを、私の体は経験的に知っている。

 

それがキツイなら腹8分目。

腹一杯は、宴会と楽しいイベントの時。(その時はいい)

で、糖質を制限するならご飯やパンの前に、甘いモノからでは?

 

これはある意味、理屈ではない。

 

体が、心が、そう訴えてくる。

これだけは、もうどうしようもない。

 

しかしながら、

 

これからの話となると、糖質制限食は益々支持される気がする。

 

何故なら、糖質制限食はダイエットにも活用できるからだ。

この点は見逃せない。

 

私が思うに、 日本人の多くは、基本的に食べることが大好きだ。

その一方日本人の多くは、基本的に太るのは嫌いだ。

 

糖質制限食は、この矛盾する問題を一挙に解決するかのような印象を与える。

 

まとまりの無い話になってしまったが、では私自身、今後、糖質制限食とどのように向き合うか? と尋ねられれば、答えは正直、微妙ではある。

 

ハッキリしていること。

 

それは魚だろうが肉だろうが、私はお腹一杯食べることは控えようと思う。

そして今まで通り食べ過ぎ、飲み過ぎないようにしようと思う。

 

そうすることで、太らないよう心掛けたい。

また、そうすることで便秘や下痢しないようにしよう。

 

ついでと言っては何だが、心穏やかに過ごせるように心掛けたいとも思う。

 

そうすることで、夜、グッスリ眠れるよう心掛けよう。

そうすることで、今まで通り健康な日々を過ごせるなら、それで十分だ。

 

最後に

 

江部先生。糖質制限食。ありがごうございます!

色々参考になりました。

糖質制限食1

糖質制限。

 

最近、この言葉をよく耳にする。

 

以前から、『糖質制限食』なるものがあることは知っていた。

が、正直、それほど関心があった訳ではない。

 

それより『糖質制限』と聞くと、私がイメージするのはむしろ江部先生。

 

江部先生。

今では『糖質制限食』と言えば江部先生と言うほど有名になられた感がある。

 

ご存知の方も多いと思うが、江部先生は京都、高雄病院の医師であり理事長でもある。

そして、私がアトピーを克服できたのも、この方の存在が大きい。

 

私が、高雄病院に入院したのは1990年代の初め。

 

当時の私はアトピーが劇的に悪化。

もう、にっちもさっちも行かない状態で、休職を余儀なくされた時期だった。

 

それまでの私は難病治療で有名だった甲田療法に傾倒していて、『もうこれしかない…』と決死の覚悟で始めた生菜食療法が継続できず、挫折感&自己嫌悪に苛まれている最中だった。

 

因みに、この生菜食療法。

 

今ならサラリーマンが会社勤めをしながら取組めるような生易しい療法ではないことくらい想像が付くのだが、当時の私にはまだまだそこまでの判断力も経験もなかった。

 

『アトピーどころか、このままでは社会復帰すらできない…』

 

江部先生と出会ったのは、そんな時期だった。

 

当時、高雄病院はアトピー患者の駆け込み寺のような存在。

入院するのに数か月待ちの状態が普通だったが、私の場合、運良く空きの出た個室に入れた。

 

ところが、当時の私はガチガチのステロイド拒否患者。

 

今なら入院そのものを断られても仕方ないほどだが、当時、江部先生をはじめスタッフの皆さんは優しく、本当に優しく自分を迎えて頂いた。

 

で、入院中、私が何をやっていたのかと言えば、それは『絶食療法』。

 

今でもそうだが、当時、高雄病院と言えば漢方を取り入れた治療で有名だったが、私に関する限り、アトピー治療に絶大な効果をもたらしたのは絶食療法の方だった。

 

あれほど酷かったアトピーが、診察ごとに良くなっていったのだから。

 

実際、あの時の絶食療法を通じて『アトピーの治し方』みたいなものを私自身が掴んだのは事実。

あの時の体験が無ければ、恐らく、今このブログを書いていることもないだろう・・

 

そう言えば当時、江部先生とは何度か嵐山方面に散歩した思い出がある。

 

勿論、私ひとりではなく他の患者も一緒なのだが、医者と患者が一緒に歩き、その中で交わされる他愛もない会話。

そういう事の方が印象深い。

 

 

その江部先生が『糖質制限食』なるものを唱えられた時は最初、正直言って面食らった。

 

『これは自分の知っている江部先生ではない・・・』  

 

これが第一印象だったのだ。

 

何故なら、自分の抱く医師、江部先生の印象は『真っ当で中立的な人』と言う印象だったから。

『真っ当で中立的』とは、『バランス感覚が良く』て『極端に走らない』と言う意味でもある。

 

中でも、私にとって『極端に走らない』と言う点は見逃せない。

 

理由は、今まで自分が成人病にならず健康なのは、この『極端に走らない』をベースにした食生活に負う部分が大だと感じているからだ。

 

そういう意味で、『主食をやめると健康になる』と言うのはまさに????だった。

 

それでも、『もしかして…』と言うのはあった。

 

その『もしかして…』とは、『自己体験』だ。

そう。自己体験。これは私自身が強烈に体験しているので良くわかる。

 

要するに、アトピーならアトピー、糖尿病なら糖尿病を自力で治すと、その自己体験が強烈であればあるほど、その療法を現実以上に過大評価してしまうと言う意味。

 

つまり、『客観的に観る』と言う部分の点数が甘くなる。

しかしながら、素人の自分ならともかく、臨床医としての江部先生がそんな筈はないだろう・・

 

いろんな想像が頭の中をよぎる。

 

で、私の出した結論はこうだ。

 

『俺もやる』(私)

『何を?』(妻)

『糖質制限食』(私)

『・・・・・ 始まった』(呆れる妻)

 

人の主張に対して、あーでもないこーでもないと言うのは簡単。

それに、推測だけでモノを言うのも簡単。

 

でも、それは決してフェアーなやり方ではない。

 

一番確実なのは、自分もやってみること。

 

これに勝るものはないだろう。

 

それに幸いと言うか、たまたまと言うか、自分の場合、定期的な健康診断ではコレステロール値が少し高め。ちょうど何かやってみようと思っていた所でもある。

 

一方、読者から『糖質制限に対する飛鳥さんのご意見を…』と言うのも増えている。

 

そういう訳で、『糖質制限食』

 

アトピーでもない人、糖尿病でもない人が糖質制限(プチ糖質制限食=夕食のみ主食抜き)を実践するとどうなるのか?

 

途中経過をこのブログにアップしようと思います。

いのちの輝き

新しい年が明けた。

 

今年は、どんな年になるのだろう・・

 

20代から30代にかけて、新年を迎える度、いつもこんな風に思っていた。

 

「今年こそアトピーを治す!」

 

 

私が、アトピーだったのはおよそ18年間。

 

具体的には高校入学から33歳までの期間だが、症状が顔に出てからと言うもの、私は次第に『いつもアトピーのことばかり考えている人』になっていった。

 

症状が顔に出て以来、私は外出することが億劫になった。

 

そんな筈はないのだが、いつも誰かに顔をジロジロと見られている気がした。

 

そんな毎日が続く中、

 

私は、徐々にではあるが『いのちの輝き』を無くしていった。

ひどく心が萎え、何かをする勇気も消失しかけている自分に、ふと気付いたのだ。

 

 

その後、アトピーは完治した。

紆余曲折を経て、もがき苦しみながら、とにかくアトピーとサヨナラした。

 

そして40歳の時、自己の克服体験をHPで公表した。

 

このHPをきっかけに、かっての自分同様、死にもの狂いでアトピーを治そうと必至に戦っている人達と出会うことになる。

 

人と人の出逢いは、常にお互いの人生を変容する可能性を秘めている。

 

真実の愛は、理解から生まれるのかもしれない。

 

私がそう感じるようになったのも、様々な読者の方との出逢いから。

 

苦しみ、困難・・・

人は皆、苦しみや悩み、困難を抱えながら生きている。

 

相手を理解しようとする過程から生まれる優しさや思いやり。

 

この優しさや思いやりには、ある種のエネルギーを伴っている。

 

しかもこのエネルギーは、アレが欲しい、コレも欲しい時に生じるエネルギーとは性質が違う。ギラギラしたものがなく、どこまでも穏やかで平静なのだ。

 

そして驚くのは、このエネルギーには『いのちの輝き』が宿っていることだ。

 

かってアトピーで『いのちの輝き』を失いかけた自分が今、アトピーの方との出逢いの中で、再び『いのちの輝き』を感じさせて頂いている。

アトピーを治すということ4

先日、メルマガ読者の方から質問を頂いた。

 

「ステロイドを使うかどうか 迷っています。」

「だって、ステロイドって免疫抑制剤でしょ?」

「免疫力を抑制しながら、アトピーを治すのは何か矛盾している気が・・・」

 

こんな内容だった。

 

もっともな疑問だと思う。

 

おそらく、過去の自分も含めて、これは多くの人が抱く疑問だろう。

 

免疫力を抑制するクスリを使いながら、免疫疾患のアトピーを治せるのか?

免疫力を抑制すれば、むしろアトピーを治すための治癒力も弱くなってしまうのでは?

 

多くの場合、アトピー患者には「ステロイドは使いたくない・・」と言う本音と、

それでも「ステロイドを使わないと日々の生活が維持できない」と言う現実がある。

 

 

しかしながら、この類の質問への返答にはかなりの慎重さが要る。

 

何故なら、

 

この内容だけだと、使用しているステロイドのランクが分からないからだ。

 

ステロイドのランク。

 

例えば、最強クラスの『デルモベート』と穏やかクラスの『ロコイド』。

 

血管収縮率で言えば、デルモベートはロコイドの1800倍。

3倍とか5倍の話ではない。1800倍なのだ。

 

ステロイドの血管収縮率(詳細はお調べ下さい)は、直接副作用に関連する問題だ。

さらに副作用と言う点では、ステロイドの内服も注意を要する。

 

従って、

 

相談を受けたからと言って、素人が簡単に答えられる内容ではない。

 

それでも私は思うのだ。

 

ステロイドを使っても使わなくても、アトピーは治る時は治る。

 

大変荒っぽい言い方だが、これが私の経験則だ。

 

何故なら、

 

そもそもステロイドを使う理由は、症状(痒み)をコントロールするためだ。

皮膚の炎症が治まり、痒みが治まれば、ステロイドを使う理由などなくなる。

 

要するに、ステロイドを使っても使わなくても、アトピーが消えてしまえば、

問題は解決するのだ。

 

従って、患者はとにかくアトピーを消すことが最優先課題となる。

ステロイドを使う・使わないは、あくまで枝葉の問題に過ぎない。

 

アトピーの活動性を抑えること。

アトピーの活動性を消すこと。

 

このことで、日々の生活の中で痒みを感じる時間がゆっくり減り始める。

 

これが、最優先課題。

 

これなくして、アトピーを治すことはできない。

瞬間的にアトピーを消し去る裏ワザなんてものは存在しないから。

 

アトピーを治すこととは、根本的な治療を諦めることなく続けること。

毎日の生活の中で出来る地道な努力を継続すること。

 

これが私の経験した、アトピーを治す一番安全で確実な方法。

 

アトピーだけを治す特別な治療などない。

 

健康な身体を目指すことで、アトピー完治への道は自ずと開かれる。

自分の外の世界に目を向けなくても、アトピーを治す種子は自らの内にある。

 

その種子を大切に育んでいくことで、アトピーは自ずと消える。

 

これこそ、私の経験したアトピー完治への道そのものだ。

 

アトピーを治すということ3

 

以前、誰かにアトピーを語る時、そこにはいつも控えめな自分がいた。

 

もっと正直に・・・

もっと素直に・・・

 

と思いながらも、ついつい控えめな表現をする自分がいた。

 

控えめな表現。

それは具体的に言うと、『治る』という言葉。

 

アトピーの人に面と向かって、『治るよ』と言うのはかなりの勇気がいる。

 

思い返せば自分がアトピーだった時、

医者は決して、私に対して『治る』と言う言葉は使わなかった。

 

恐らく、今もこの状況は変わっていないのではないか。

 

『アトピーは治ります』

 

アトピーの人に対して、簡単に、また無責任に使える言葉ではない。

そこには、アトピーと言う病気を知り尽くした人間にしか理解できない言葉の重みがあるからだ。

 

それでも今、私はアトピーの人に対してこう言う。

 

アトピーは自分で治せる病気ですよ。と。

 

力まず、ごく自然体にそう言い切れる。

 

それは簡単に言うと、毎朝会社に通勤するのと同じレベルの話なのだ。

 

7時発の電車に乗って、7時20分にA駅到着。

A駅から7時25分発のC方面行の電車に乗り換え、7時40分にB駅に到着。

B駅から歩いて10分で会社に到着。

 

これくらい先が見えている。

 

逆に言うと、これくらい先が見えていないと、とてもじゃないが『治る』なんて

言葉は安易に使えない。

 

医学的な根拠?

 

ない。そんなものはない。自分の経験だから。

強いて言うなら、実際に治したことがある人なら判る。と言うこと。

 

でも、アトピーを確実に治すには、ゴールまでの道のり(シナリオ)が見えているか

いないかでは大違いだと思う。

 

アトピーを治す場合、治すための条件をひとつひとつ愚直に積み上げていくのが結局、

一番賢明なやり方なのだろう・・・

 

アトピーを治すということ2

 

さまざまな問題に直面した際、私達はその解決策として『原因』を究明しようとする。

つまり問題の『原因』を知り、それを解消することで解決を目指そうとする。

 

私は、このアプローチは正しいと思う。

 

『原因』があって『結果』が生じる。

この『因果の法則』は、釈迦様も認めておられる。

 

言い換えると、『原因がなければ結果もない』と言うことだ。

 

しかし・・

 

私は思うのだ。

 

アトピーを治す場合、『原因』の究明もほどほどに・・・ と。

 

お釈迦様の説に異議を唱えるつもりは全然ない。

 

事実、アトピーになるにはアトピーになるだけの『原因』は必ずある。

そこは、自分自身の経験からも素直にそう思う。

 

それでも、私が『ほどほどに…』と思うには理由がある。

それは、アトピーと言う病気の『原因』が、決してひとつではないと感じているからだ。

 

アトピーの『原因』はひとつではない。

 

つまりアトピーと言う病気は、複数の要因が重なり合って発症すると考える方が対策が

立てやすくなり、結果的にもうまくゆく。だから原因が特定できないからと言って落ち

込む必要など全くない。

 

逆に、アトピーの『原因』を特定しようとすると、決まって迷路に迷い込んでしまう。

要するに、話に一貫性がなくなり、辻褄が合わなくなってしまうのだ。

 

但し、

 

『原因』は複合的であったとしても、そこにはやはりウエイトと言うか、配分と言うか、

『原因』の中身には、そういう強弱のようなものはあるようには思う。

 

例えば、

 

食生活とストレス。

 

「どっちが、アトピーの原因としてウエイトが高いと思いますか?」と問われれば、

それは間違いなく食生活の方だろう。

 

このことは、世界的に発展しつつある難民問題からも推測がつく。

 

迫害され、住む場所を追われた難民達。

将来に不安を抱えたままの彼らのストレスは、我々の想像をはるかに超えるものだろう。

また、劣悪な衛生環境の下、伝染病や感染症は目を覆いたくなるほどの惨状だ。

 

しかし

 

彼らは、アトピーでは苦しんでいない。

 

恐らく、食事に至っては最低限の量すら摂取できないケースもあるだろう。

 

しかし、

 

彼らが、アトピーで苦しんでいると言う報告は聞いたことがない。

 

この現実は何を意味しているのだろう・・・

 

 

アトピーの『原因』を特定することに対して、私は大した意味を見いだせない。

 

その一方で、

 

「ストレスを感じてイライラすると、ついつい甘いものが食べたくなる・・・」

 

このような願望が、いとも簡単に実現してしまう日本。

私は、この辺にアトピー治療の難しさがあるように感じる。

アトピーを治すということ

 

新年早々、こんな記事を見つけた。

 

『九州大学研究グループ、アトピー性皮膚炎のかゆみのメカニズムを解明』

『新たな治療薬に期待』

 

この記事によると、

 

タンパク質「EPAS1」が、痒み物質「IL-31」の産生を誘導することが判明。

既にメカニズムは解明され、痒みを絶つための新たな治療薬の開発が期待される。

 

とのこと。

 

アトピー発症の要因、痒みのメカニズムに関する報告は今までも多々あった。

 

例えば、

 

2016年4月。理化学研究所によるアトピー性皮膚炎の原因となる遺伝子の解明。

2015年4月。慶応義塾大を中心とする『黄色ブドウ球菌を含む異常細菌巣』の発見。

 

等々・・

 

いずれも、アトピー性皮膚炎の発症予防や治療法確立への期待を抱かせる内容だ。

 

確かに、患者にとって、アトピー治療の選択肢が増えることはありがたい。

 

しかしながら、この類の記事を読むたび、私はいつも思うのだ。

 

「足りない・・・」と。

 

根拠があるわけではない。

 

と言うか、私の場合、医学的な根拠など皆無で、あるのは自身の経験だけなのだが、

それでも何かが「足りない」と思う。

 

医学的見解と私の経験の相違。

 

医学と言うのは、常に「自分と対象」「主観と客観」の対立がその根底にある立場。

つまり、正確に事象をとらえ、そのメカニズムを解明することを何より優先する。

 

ある意味、これは強烈だ。

 

実際、外科などの分野では圧倒的な結果を出せる。

 

ところが、

 

それでも、「アトピーの場合、このスタンスだけでは無理だ。」

 

と、私の経験は訴えてくる。

 

何が無理なのか?

 

それは、主観と客観を対立させる立場。

つまり、事象を正確にとらえ、そのメカニズムを解明しようとする立場。

 

この方法に限界を感じるのだ。

 

何故なら

 

いかに正確に事象をとらえそのメカニズムが解明できても、その事象を観察・思考する自分

(主観)は、対象であるアトピー(客観)の中に入り込む訳ではなく対立したままだから。

 

これでは、アトピーは治せない。

いや、正確には『治せる確率は低い』ままなのだ。

 

つまり、行き着くところ、アトピーは自分で治す病気なのだ。

決して、誰かに治してもらうような類の疾患ではない。

 

いろんな分野の方々がアトピーのメカニズムを探り、新薬の開発に尽力されている。

 

ありがたい話である。

本当にありがたい話である。

 

このような方々の日々の努力により、アトピー患者の地獄ような体験が軽減されている事実を

見逃すことはできない。

 

しかしながら、大切なこと。

 

それは、このような研究者の方々の努力が背景にあることを知りつつ、患者自身は自分で治す

ための努力を続けること。だと思うのだ。

 

新薬の開発と患者自身の努力。

 

このふたつは決して矛盾するものではない。

 

新年

2017年。

新しい年が始まった。

 

新年を迎えるたびに思うことがある。

それは今、つまりこの平成と言う時代が私たち日本人にとっては、有史以来、

一番良い時代ではないかと・・・

 

そんなことはない。

阪神大震災や東日本大震災を見てみろ。熊本なんて今も大変だ!

 

そんな反論はあるかもしれない。

それでも、私は思うのだ。今の時代は最高だ・・・と。

 

その一番大きな理由は、『戦争がない』こと。

 

 

『戦争がない』

 

普段、私達はこの現実を当然にように受け入れている。が、この戦争がない日々を

享受している私達の過去は、徳川260年の江戸期を除いて、戦い・争いの連続だった。

 

殺し合いをしない。

自分が人を殺す必要に迫られず、また人から殺されることもない世界。

 

これは、人が幸福な人生を歩むための大前提だ。と私は思う。

 

それから、

 

もっと身近な面から考えても、多分、昔のお殿様より自分の方が美味しいものを食べ、

便利なモノを使っている。天下を取った徳川家康が毎日風呂に入れていたかどうかは

知らないが、ウォシュレット付きのトイレは知らない筈。

 

つまり物質的にみると、私は昔の殿様以上の生活をしていることになる。

 

新年早々こんなことを考えていると、いつも最後はこんな風に思うのだ。

 

戦争がない時代に生まれ、殿様以上の生活をしている自分。

これって当たり前か? で、どうするの?

 

恐らく、

 

それはきっと、自分のためだけに生きること。では無い筈。

 

『自他平等の修行を致したく・・・』

 

確か、これは大田垣連月さんの言葉だったかな?

 

無理やりだけど・・

アトピーだった頃。
20代半ばだったと思う。
通勤電車から降りる時、イライラ・ムカムカすることが多かった。
「まだ降りてないのに乗ってくるな!」
「そんな所に立ってたら降りられへんやろ!」
そんな風にぼやいてはムカムカ、イライラしていた。
皮膚科で順番待ちをしている時も同じ。
理由はその時々で微妙に違ったけど、とにかくイライラ・ムカムカ。
ところで、
イライラ、ムカムカすると、間違いなく心がしんどくなる。
イライラ、ムカムカは間違いなく心をしんどくさせる。
心がしんどい。心がしんどい。心がしんどい。
コレ、アカンやん・・・
一方、普通に日々生活している中でも、
「ありがたいな・・」と思えることは多々ある。
で、「ありがたいな・・」と感じている時は、なぜか心が気持ちよい。
心が気持ちよい。心が気持ちよい。心が気持ちよい。
コレ、エエやん。  めっちゃエエやん。
アトピーを治してからも、このことは日々感じて過ごしている。
昨日の話。
車を運転していた。
渋滞でなかなか前に進まない。で、少しイライラしてきた。
と思いきや、赤信号につかまった。(もう少しで渡れたのに!)
で、少しムカムカしてきた。
「ウザい信号やな!」
そう思いかけて、ふと我に返った。
アカン、アカン・・・
で、気持ちを切り替えた。
「信号があるから安心して運転できるのやろ?」
「逆に信号無かったら困るやろ?危なくて危なくて。」
「守ってもらってるやん。信号さんに。」
「信号作ってくれてありがとう。」
無理やりだけど、とにかくそう思うようにした。
とにかく、心からそう思うようにしてみた。
すると、と言うより、やっぱり
心は、しんどくならなかった。
むしろ少しだけど、心は気持ちよくなった。